イベント
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平成25年度大学学位授与?卒業式が、3月19日(水)、総合体育館で挙行されました。
大学院各専攻62人、大学各学部1847人、短期大学部102人の計2,011名が未来に向けて船出した。
?学長式辞
平成25年度卒業生に贈る言葉
「未来への道」
みなさんご卒業おめでとうございます。保護者の皆様のお慶びもいかばかりかと拝察いたします。おめでとうございます。また、ご来賓の皆様におかれましてはお忙しいところご列席を賜り誠にありがとうございます。
さて、卒業生のみなさんは卒業と同時に社会人となります。前途を祝してエールを送ります。これからみなさんは教育システムから社会?産業システムに移ることになります。入学された頃は、きっと自分の将来は少し上り坂で、道の周りにはきれいな花が咲いているようなイメージをもっておられたのではないでしょうか?しかし大学4年になると、この明るくて草花が咲いている上り坂はたちまち消え失せ、埃っぽい平坦な道に見えてきたのではないでしょうか?そしてあの頃の美しい道はどこへ行ってしまったのだろう?と思ってはいませんか?現実に直面するということはそんなことなのです。幻想や希望的観測は消え去り、実体が見えてきます。何だか希望のない話のようですがそうではありません。みなさんの未来はその現実から出発することなのですから、直視しなければなりません。昨年の卒業生がきて「先生!会社には夏休みがないんですっ!」と言って、まるで夢から現実に引き戻された顔をしていました。 本来教育システムは学生や生徒のためにありますので、間違いや失敗に寛容ですが社会は違います。間違ったら叱責され、失敗したら責任を取らされます。いままでは先生がやさしく指導してくれました。しかし、もうそんなことはありません。結果がすべてなのです。今年卒業されるみなさんの前にはもっと高い壁が立ちふさがります。それは世界の壁です。現在は、狭い日本から世界へと飛翔しなければならない時です。いわばグローバルな人材が求められているのです。異なる文化?宗教を背景に持つ多様な人々を理解し、コミュニケーションできる人。また、地球上のどこへ行っても生きていける体力と精神力を持った人。そうです本学の建学の精神「偉大なる平凡人たれ」こそはグローバルな人間育成を目指すものです。どこででも生きていける人、そしてそこで有為な人材となり、そこの地に貢献する人になってください。そして目標や光が見えなくなったとき、もう一度大阪産業大学のキャンパスを訪れてください。
卒業を期に自立心を養うためには自分の人生を自分の意志で設計するという気概が必要です。また、学ぶことを忘れてはいけません。書を読み、人に教えを請う姿勢が必要です。これから出会う人はまったく相反することを諸君に言うかも知れません。利益は何より大切だという人もいれば、利益ばかりではないという人もいます。また、社会は競争だという人もいれば、社会は共存だという人もいるでしょう。当然こんなとき諸君はきっと迷うでしょう。どちらも正しいからです。しかし、その迷いを断ち切って自分の判断をするとき、はじめて自立心が芽生えます。したがって自立心とは決断であり、その決断を自分のものとすることです。それが自分の人生を切り開く力となることでしょう。人が自立すると不思議なことがおこります。それは、自立とは、逆に依存を知るということです。人は一人では生きられません。つまり自立するとそのことを知るのです。そこから感謝の念が生まれます。親に対する感謝、恩師に対する感謝、そして友人に対する感謝が沸き出るようにでてきます。さらにそこから礼儀が生まれてきます。したがって礼儀は、感謝から生まれてくるものです。「武士道」を著した新渡戸稲造氏は「礼儀の最高の形はほとんど愛に近い」といっています。彼は次のように述べています。「礼は寛容であり、人の利をはかる。礼は妬まず、誇らず、たかぶらず、非礼を行わず、自分の利をもとめず、軽々しく怒らず、悪をおこなわない」この文章は聖書のコリント前書13章から引用されています。クリスチャンの新渡戸稲造氏は武士道の礼儀を愛ととらえ聖書を引用したものと思われます。やがて諸君がよき伴侶となる人と出会い、もしチャペルで結婚式をあげるならば必ず神父あるいは牧師の口からこの言葉をきくことでしょう。武士道とキリスト教という、かけ離れたように見えるものにもこのような共通したものがあるということを覚えていてください。それだけでグローバル社会の中で自分を見失わず自立的に行動することができるはずです。
日本はまだ東日本大震災から復興したとは言えない状態です。そしてまだ南海トラフ地震の不安もささやかれています。このような自然の脅威にたいして人間の非力さを見せつけられました。人類は営々と自然を克服するための歴史を刻み、科学の発展はIPS細胞を生み、細胞の若返りも夢ではなくなってきました。しかし、このような科学の発展は一方で人間に万能感を与え、驕りも助長しました。しかし、大学で学んだ者はすべての事象や社会現象や知識にたいして批判的でなければなりません。そのことが大学で学んだ者の教養となります。今は日中?日韓で国際関係がギクシャクしていますが、一方的な意見だけを信じるというのは批判的ではありません。かといってすべてのことに判断中止をしていてはだめです。現代日本の碩学村上陽一郎氏は教養とは「自分の中にきちんとした規矩(きく?ものさし)をもっていて、そこからはみだしたことはしないぞ、という生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人といえるのではないか」といっています。教養とは知識ではなく一つの節度のことであると村上氏はいっています。したがって、みなさんはこれから自分が生きる基準をつくるために経験し、知識を得るのです。どうしていいかわからないとき本を読み、先輩にきき、師に教えを乞うのです。こんなことがありました。卒業生が仕事上難しいことがあり、自信を失って、大学祭のとききました。そしてかつての指導教授のよきアドバイスによって気持ちが楽になり職場へ戻っていきました。
大阪産業大学は君たちの故郷として、家として、そして学び舎としてあります。行く道の灯を見失ったとき、また訪れてください。きっと何か助けになるものを得ることでしょう。建学の精神「偉大なる平凡人たれ」という言葉はいつも君たちの生き様を力あるものとして支えてくれるでしょう。
あの光輝く草原の道をもう一度踏みしめ、新たな道しるべを得てください。母なる学舎なのですから。大阪産業大学はいつでも君たちを待っています。
平成26年3月19日
大阪産業大学?同短期大学部
学長 瀬島順一郎